江本勝から皆様へのメッセージ

2005-09-04 ハリケーン「カトリーナ」に関しての代表・江本勝からの緊急メッセージ

世界の水友達へのメッセージ

ハリケーン「カトリーナ」襲来の悲劇に想う…「水のことをもっと知ろう」

本原稿をしたためている2005年9月4日現在(日本時間)、アメリカ時間で8月29日の早朝に再上陸したハリケーン「カトリーナ」による被害状況は刻々と広まって行き、その予想死者数は1万人を超すかもしれないと報道されており、ただただ、犠牲になられた方々のご冥福お祈りするばかりであります。そして今もなお精神的肉体的に、死の恐怖に陥っておられるであろう方々に、遠く日本の地より、“もうちょっとの辛抱です。あなたは必ず救われます。だってあなたはアメリカ人なのですから”と激励の言葉を送らせて頂きます。

昨年暮れのスマトラ沖大地震およびそれに伴うインド洋沿岸地域を襲った大津波は、予測も出来ない一瞬の大惨事でした。そしてそれは発展途上国諸国―つまり先進国の人々にとっては遠い国―での悲しい出来事でした。

しかし、今回のハリケーン「カトリーナ」の場合は、来る事が分かっていながら大惨事となってしまいました。この一見科学技術は極まるところまで来てしまったかのように思える21世紀、しかも最も先進的な大国アメリカで。

この二つの大自然災害は、発展途上国と先進国、予知不可能であったケースと予知出来ていたケースという両極端の状況下において起こりました。しかし共に直接的に多くの死者をもたらしたものは同じ要因でした。それは「水」です。つまり、水による災害は、発展途上国であろうと先進国であろうと、予知できたことであろうと無かろうと、今のところ対応の仕様がないということが言えるのではないかと思います。それは何故なのかを次に述べ、今後このような大惨事が二度と起きないような方向性というものを示唆させて頂きたいと思います。

2004年12月30日付の日本の読売新聞(1000万部の発行部数を誇る世界最大の民間日刊紙)の1面に下記のような写真が掲載されていました。


Copyright(c)DigitalGlobe/日立ソフト
http://hitachisoft.jp/fukkyushien/kalutara.html

この写真は、スリランカ上空から撮影された衛星写真で、ちょうどその海岸線に津波が押し寄せた時の状況が、克明に捉えられており、何と良く見ると波の形が竜のそれに良く似た形となっているのが良く分かります。

そしてその見出しには「竜神荒ぶる」とありました。竜は日本では水の神様とされています。つまり昨年12月26日に起きたあの大津波は水の神さまである竜が怒って暴れた結果であると言わんばかりのアイロニーを用いているのです。

しかし、水の研究家として、この表現はまさに当を得ていると私は思います。水なくしては、誕生する事もそのいのちを継続する事もかなわぬ私たち人類は、一体どれほどまでに、その無くてはならない水のことを知っているというのでしょうか?実は何も知っていません。水に対しては全く無知であるといっても言い過ぎではありません。

例えば、なぜ完全に水を断ち切った場合は1日たりとも人は生きてゆけないのか? なぜ水に氷を入れるとそれは浮くのか?(他の物質では固体の方が重いので必ず沈む) なぜ水には表面張力や、毛細管現象というものがあるのか? なぜ水は4℃のときに一番重くなるのか? なぜ水は何でも溶かす事ができるのか? なぜ水は固体、気体、液体、またその中間など様々にその様態を変えることが出来るのか? 等々、化学的には説明できる所はあっても、まだその根源的な答えは誰にも分かっていません。

そして人間と言えば、ほとんどが水で出来ています。初めてその命が灯る受精卵の時、それは96パーセントが水分です。新生児では80パーセント、大人の平均でさえ70パーセントが水分とされています。つまり私たちは物質的には全くの水であるということが言えるのです。

だのに私たちは水のことをほとんど何も知らない。だから私たちは自分たちのことを、何も知らないのです。今から4000年以上も前にギリシャの哲人タレスが“水は万物の源である”であると言った事を、今でも誰も否定する人はないほど、水の重要性については当たり前すぎるぐらいに認識しているのに、水の本質については知る人がいないのです。

水の神様である竜は言いたいのでしょう「お前ら人間 いつになったら お前ら人間を生んだ水 お前らの母のことを知ろうとするのか 知ろうとするどころか無視して 挙句の果て 粗末に扱うばかりじゃないか う〜ん 俺は怒ったぞう!!」と。

前述したように一見科学は極まるところまで来たような感がありますが、この万物の源である水の本質を知らずしてそうであると言えるのでしょうか? もちろんノーです。

では何で水の科学は遅れているのでしょうか? それは水は従来科学技術の観測方法では、測定不可能な物質だからです。何故そうなのか? まず言えることは水はこの地球の物質ではないからです。この事は1997年の5月と8月にNASAとハワイ大学が相次いで「この地球に現在ある水は(氷の)彗星によってこの地球にもたらされた(いる)ものらしい」とそれぞれ違った見地から発表しているのです。

問題はこの重大な水についての発表を誰も真剣に受け止め、掘り下げて考えようとしないのです。この発表は今から8年も前にされているのに、私の知る限りではその後この事に対しての真剣な討論があったということは、何も聞いていません。

どうしてなのか?それはこの事が認められると現代科学の根底が揺らぐからだと思います。水が宇宙から来ているものだとすれば、私たちもまた宇宙から来ていることになり、それはまだ科学の領域ではなく、神の領域、すなわち現代科学者が最も認めたくない宗教の領域となってしまうからです。

水のことはとりあえず無視しておこう、触らない方がよい、と言う事が彼らの一致した態度に私には思えます。それだから、水のことに対しての探求は遅れ、その対策も遅れているのではないかと思うのです。

前述したNASAの発表の新聞記事にはもう一つとても大切な情報が報じられていました。それは「その氷の彗星の大きさは100トンぐらいで、年間におよそ1000万個も飛来してきており、それは地球が誕生したころから現在に至るまで、そしてこれからもずうっと続く事が予想される」という内容です。

これがもし正しければ誠に重大な事です。遠い将来この地球は水だらけになって、陸地がなくなってしまうことが考えられるからです。そう言えば今回の災害だけでなく、近年世界各地で洪水による被害が連続しておきています。このハリケーンと同時期に、ドナウ川沿岸を始めとするヨーロッパ各地に洪水が発生しているというニュースも伝わってきました。

おまけに温暖化は進む一方で、極地や高山の氷や氷河がどんどん融け始めていて、南太平洋の無人島はおろか有人島までもが、潮位上昇による水没の危機に瀕しているとの報道もされています。察する所、この地球はいまや水を大量に含んだスポンジのようになっていて、ちょっとした降雨でも低地の場合には水がなかなか引かない、というような現象を起こしているのではないかと懸念されます。

もっと言えば過去においてあったという“ムー”や“アトランティス”のように、二度三度この地球の一部は海の底に沈んでしまうのではないのだろうかと、私は真剣に心配しています。

日本のことわざに「水は心の鏡」ということわざがあります。私が11年間に渡って撮影してきた水の氷結写真技術は、小さな民間の会社で行ってきたゆえに、科学的設備とは程遠い環境の中で行ってまいりましたが、それがゆえに撮影者の感性、研究所の場というものが大きくその撮影結果に影響を与えるという結果となっています。つまり前述したことわざが、まさに正しかったと言う結果を得るにいたっています。

例えば、撮影者が穏やかな気持ちで撮影する時と、そうでない時とでは、得られる水の結晶の美醜が全く違ってくるのです。そう、水は人が「愛感謝」と言うような思いを強く持って相対峙する時に最も美しい結晶を見せてくれました。逆に「むかつく殺す」と言うような意識に対しては、とてもおぞましい結晶しか見せてくれませんでした。

「愛 感謝」という文字を見せた水の結晶写真
「ムカツク・殺す」という文字を見せた水の結晶写真

わたしは長い研究の結果、美しい六角形の結晶が得られる時、水の持つ情報エネルギーは穏やかで建設的なエネルギーを有し、そうでないときは厳しい破壊的なエネルギーとなってしまうと言う事を確信しています。

「水は心の鏡」…そのような意味において、いま人類はその生き方を問われているような気がします。水という生命の源が一番好む愛感謝に満ちた思いで、現代人は生きているでしょうか? いうまでもなくそうではありません。逆に憎悪と恐怖、そして不安と貪欲に満ちた生き方をしている方の割合の方が多いのではないでしょうか?

であれば水もそうなります。人類全体として愛感謝的な生き方をしてゆかなければ、水はますます荒れ狂い、第三、第四の水による大災害が、今度はあなたの町をも襲ってくる事になるでしょう。

それを招かない唯一の方法、そして現在水にいじめられている方々を少しでも早く救済する誰でも出来る方法は、皆さんの身近の水に対して愛と感謝の思いを捧げる事です。さらに水とは何かを自分なりに考え、自分が水であることを認識し、水を本当の母親として、父親としてさらには兄弟として考え、敬愛の念を持って接することです。

さあ身近の水に対し、世界の水に対して言いましょう。一人でも多くの方が、この言霊を発すればそのエネルギーは宇宙の彼方まで届き、水の神様である竜の怒りもしばし休まる事でしょう。なぜならばアインシュタインのエネルギーの公式 E = mc2 の m は人の数、c は意識であると私は信じているからであります。

“お水さん、愛しています”
“お水さん、ありがとう”
“お水さん、尊敬しています”

2005年9月4日
江本 勝

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