江本勝から皆様へのメッセージ

2003-07-25 イスラエル訪問記

7月21日(月)

旅費を節約するため、いつも1回の海外出張で、なるべく多くの国からの講演依頼に応えようとしてしまう。日本からのビジネスクラスの飛行機代を1つの団体に負担させるわけには行かないと思うからだ。そのため今回もアラウンド・ザ・ワールド切符での日程だ。これだと約半分ですむ。しかしそのため、必要のないところ経由で目的地に行かなければならないときもある。世界一周切符は、最低3大陸を経由しなければならないからだ。今回はシカゴ、フランクフルト経由でテルアビブ空港に到着、合計24時間のフライトだ。さすがにきつい。一足先に着いていた根本君、ルス・ジョイさん、そして現地側の責任者サリーさんが出迎えてくれた。

空港のイミグレイションでは、始めて日本のパスポートのおかげでチェックが厳しかった。まだ数十年前の岡本公三事件が尾を引いているようだ。とにかくくたくたなので、すぐにホテルに行って寝る。

7月22日(火)

朝目がさめたら、滞在先のヒルトンホテル・テルアビブは美しい地中海に面したリゾートホテル。1時間ほどビーチサイドを妻とともに散歩する。とりあえずまったく平和だ。

9時にサリーさんたちが迎えに来てくれた。エルサレム市内観光に連れて行ってくれるという。約1時間のドライブの後いよいよエルサレム旧市街に到着だ。いろいろとご案内をいただいたが、私にとっての最大のメインイベントは“嘆きの壁”訪問である。約30年前、アポロ13号の3人の宇宙飛行士の奇跡の帰還のとき、私は始めて祈りという体験をテレビの前でした。何故ならばテレビは世界中の人が3人の飛行士の帰還を求めて祈っている状況を映し出していたからである。そしてその中でも私の記憶の中に強く残っているシーン、それが嘆きの壁に向かって熱心に祈っているユダヤ教徒の姿だったのだ。で、私もそれに習って私なりの祈りを、3人の宇宙飛行士の無事生還を願ってしたのだ。

おそらくあの時の世界各地での人種や、宗教の違いを超越した祈りは人類史上初めてのことだったのではないだろうか。だからこそ、300万分の1と言われた生還率にもかかわらず、奇跡が起きたのではないのかと思う。宗教教育やいかなる宗教にも無縁だった私が、祈りというテーマにおいて国際的な運動を展開している一つの背景の中に、実は30年前のこの体験があった。だから、その感動もひとしおだった。私に密着してドキュメンタリーフィルムを作ってくれているイスラエルのビデオチームにその話をしたら、彼らはすぐに地元の大きなテレビ局に問い合わせてくれて、その時の(30年前の)フィルムがまだ残っていることを確認してくれて私の話の信憑性を裏付けてくれたのであった。私はますます個人的に盛り上がり、25日の本番に向けて意を強くしたのだった。

夜8時からは、“水からの伝言”のヘブライ語版の出版記念講演会が予定されていた。本来ならば5月に予定されていたのだが、政情不安定で7月25日の直前になって行われることになったのである。しかしそれは私にとっては都合の良いことになった。何故ならば7月22日は私の還暦の誕生日であり、22と言う数字はヘブライ語の文字の数、そして2は水をさす。従って私にとって“水からの伝言”ヘブライ語版の旅立ちの日として、この上もない良き日となったわけである。

面白いエピソードを1つ。私の本の出版を受けてくれた出版社はあまり出版記念講演会をやった経験がないらしく、20冊が過去最高の当日の即売数ということだった。私が「僕の講演会ではいつも出席者の3割の人が本を買ってくれるよ」と言ったら、「そうだったら良いんだけど」とあまり信用していない様子。結果としてその夜は48冊も売れた。売れたすべての本にサインをし終わった僕が「で、今日は何人の人が来たんですか?」と聞くと、「160人でした」と答える。「ほら見なさい、ちょうど3割の人が買ってくれたじゃないか」「あら本当だ凄い!!」とようやく気づいて喜んでくれた。そして、「よし24日は出来るだけ多くの人を集めよう」とはしゃいでいた。

ちなみに24日の前夜祭、9時から11時まで行われた私のセミナーには定員一杯の250名が来てくれた。そしてその夜に販売した本はなんとまたまた3割ちょうどの75冊だったそうである。

7月23日(水)

午後から水の研究者40名ほどの人の前でセミナー、いつも思うことだが専門家の前ではなかなか話しにくい。でも今日は皆さんとても前向きで喜んでくれた。本もやはり3割は売れた。

7月24日(木)

朝9時に皆でマイクロバスでガリラヤ湖目指して出発。今日からわざわざ韓国からテレビ局チームが合流する。韓国国営放送KBSのユンさんをリーダーとする一行だ。ガリラヤ湖までは約2時間、途中サリーさんの学校の関係者からいろいろと説明を聞きながら行ったので退屈しなかった。でもこの3日間思うこと、それはどこでも平穏さを感じることだ。この平穏さの中から突然恐ろしい悲劇的な自爆テロが起こり、その報復攻撃が行われる。つい3週間ほど前にその様な事が有ったばかりというが、とてもそんなようには思えない。ある現地の人が言っていた。「しょっちゅう起こっていることだからね、1週間もしたら皆忘れてしまうのさ」と。そうかもしれない。またそうでなければ、やりきれなくてこの地では生活出来ないのかもしれない。でも、自爆テロをなくしたいという強い意志で此処に来ている僕にとって、何か肩透かしをされたようなやり取りではあった。

この日は25日の本番に対しての前夜祭。サリーさん達が一生懸命企画してくれたものだ。 5時からそれは6人の宗教家(近在の長老たち)による発表から始まった。その中で“水からの伝言”は皆さんから激賞されているらしい。ヘブライ語、アラビア語で話されているものをアクセントの強い英語で通訳しているものだから、私には良く分からなかったが、1箇所だけはっきり分かったこと、それは「今日此処にこの本の著者の江本さんが日本から来ているけれども、彼は自分がどんなに偉大な仕事をしたかをまだ分かっていないに違いない」と言った時のことだった。

この間私は5時30分から15分ほど時間をいただいて、とんでもない実験のために皆さんの協力を仰いだのだった。それはイスラエルのガリラヤ湖畔にあるこの会場から、遠く離れた日本の東京にあるオフィスの、私の机の上においてある水道水に対して、愛と感謝の、祈りと言葉を捧げてもらうことによって、その事前事後の結晶がどのように変化するかという実験への協力依頼だった。

出席された全員が快く応じてくださり、私は用意してあった、私の机の上においてある水の写真を皆さんにスライドでお見せし、それに対して愛、感謝、尊敬の言葉を送っていただき、その結果を5時間後またこの会場で皆様にお見せするとお約束したのだった。

私は日本の研究所で、深夜零時に待機していた研究員の木津君にメールを送り、その水を凍らすように伝えた。折り返し木津君からメールが入り、”ただ今仕込みを完了、3時間後には映像の結果を送れます。“との返事が来た。そのころは日本では夜中の3時、こちらでは夜9時ごろで私のセミナーが始まる時間に写真が出来るよう、予め打合せしていたのだ。

私のセミナーは9時20分ごろから始まった。予定では9時からだったが日本からの写真をスライド化するのに時間がかかり20分遅れのスタートだった。どんな結果であったのか、私は確認する暇もなくセミナーをいつものようにスタートさせた。しかし流石に途中気になって、通訳兼スライドを取り込んだ根本君にこっそりと聞いた。「結果どうだったの?」「ばっちりでした」と彼は答えた。やはり、そうか、そうであったか、と私は高揚する心を抑えて、セミナーを続けたのだった。

11時ちょうど頃、その結果を皆さんに見せるときが来た。「さて、先ほど皆様からご協力いただいた結果が届いておりますのでこれからお見せしたいと思います。私もまだ見ておりません。果たして、2万キロも離れたはるか東京に愛と感謝の言葉と祈りの波動は届いたのでしょうか?」

その写真が以下である。私は自分の仮説がこのように公の人々の前で実証されたことを神に感謝するとともに、遠く日本の地で深夜にもかかわらず撮影をしてくれた木津君に対して、深いエールを送ったのである。

7月25日(金)

私のセミナーが終わったのが、前夜の11時15分、その後75冊の本にサインをして2局のテレビ局からの取材があった。1つは地元の小さいローカル局、もう一つはなんとロイターのテレビ班、凄い対照だ。もっともロイターの分は採用されるかどうか分からないが、地元局のは確実だ。くたくたに疲れて2時半ごろ仮眠のためベッドに入る。もちろん着替えをする余裕も気力もない。

4時15分に起床する。妻が起こしてくれたのだ。やはりいつも妻と一緒に旅できる僕は幸せ者だ。会場に行ったら200名ぐらいの人が、瞑想的なダンスを踊っていた。なかなか良い雰囲気だった。日の出は5時10分ということだったので、僕は5時になったのを見て皆に呼びかけた。「さあ、湖畔に行きましょう!!」と。

私を先頭にして、あらかじめ決めてあった湖畔の場所に約200名の善男善女が移動した。そして1年越しに企画し、世界の仲間に呼びかけてきた「愛と感謝の思いを世界の水に捧げようプロジェクト」は最終行事の幕を切って落としたのである。

私はまず、皆にわらなど燃えやすいものを集めてもらって、小さな火をおこした。水の儀式には必ず火はつき物である。そしてマイム・マイムというイスラエルの水の歌を皆さんに歌ってもらった。日本でもフォークダンス曲としてよく知られている歌のようだ。誰も指揮を取るものなどいないのに、美しい女性の声を中心として、ハミングのコーラスがしばらく続いた。音楽好きの僕にとってはこたえられない瞬間であった。その歌も自然にやんだころ私はおもむろに“Water, I LOVE YOU. Water, I THANK YOU. WATER, I RESPECT YOU.”の言葉をリードし皆はそれに続いた。

元気な美しい声でその唱和が3回終わって、今度は私は皆に日本語で「大断言」を3回唱和してもらった。「うちゅうの」「むげんの」「ちからが」「こりこって」「まことの」「だいわの」「みよが」「なりなった」というように、細かく区切ってリードすると彼らはとても正確に発音が出来ることが分かった。もちろん事前に英語でその意味を説明しなければならない。

それが終わって、さて次は何をするかなと考えていた時に自然と皆が唱和をし始めた。ヘブライ語で先ほどの言葉を唱和し始めたのであった。それが終わると、なんとアラビア語で、ドイツ語で、フランス語で、旧のヘブライ語で、韓国語で、そしてハンガリー語で、誰からともなく言い出して皆がそれに続くという大変感動的なシーンが展開されたのであった。

さらに、私は日本から持ってきた水溶性の護符約100枚を取り出して、それを説明、各自に与えた。そして個人的なメッセージも書いてもらうようにし、それを湖に流してもらった。井上さんという母息子によって、朱で世界平和を願うデザインが施された護符は、各人の願いや祈りをつつんで、あっという間にそして綺麗に水と馴染み、和して行ったのであった。きっと水にその思いは深く刻印され、やがてヨルダン川の水にも伝播されてゆくことだろう。

最後は皆で私の好きな歌“WE SHALL OVERCOME”を歌って長い1日の行事を終えたのであった。終わってみて24時間たって今思うこと、それは「よくやった」という思いと「皆有難う」そして、「ようやく、第1ラウンドが終わった。まだ始まったばかり」という思いであった。

最後にこの記録を読んでくれた仲間にお願いしたい。どんな小さいことでもよい。今までなかった変ではあるが良いこと、が必ずあなたの周りに起きているはずである。それを、当ホームページまでお知らせいただきたいのだ。それが1000を超えたときこの平和活動はまず第1段階を終了する。

江本 勝

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