江本勝の愛と感謝の「循環」旅日記【続編】

2003-02-03【13】愛知県知多郡「ひかりのさとの会」

久しぶりに旅日記を送ります。

今、名古屋の東急ホテルでこれを書いています。今日(2月2日)は愛知県知多郡東浦町という所に在るひかりのさとの会という福祉法人から呼ばれてセミナーを行ってきました。東海道線の大府というところに1時過ぎについたらそこにその会の代表者である、皿井寿子(さらいかずこ)さんが待っていてくれました。そして、ホームまでの車の中で大体次のようなことが分かりました。

皿井さんは昭和9年生まれであること、今から40年前に、たまたま重度の障害児を預かることになり、5歳ぐらいであったその子が、皿井さんが面倒を見初めてたったの1週間ぐらいしかたっていないのに、口も利けなかったその子が“お母さん”といってくれたことに感動して、以来ひたすらに福祉の道を歩み続けたこと、お母さんといってくれたその子以上に素敵な人は現れなかったから生涯独身ですごしていること、ただひたすら重度の障害児、そしてその後、情緒障害児、はたまた介護を必要とするご老人、つまり今の世の中ではどうにも家族の人すらがご自分の力ではどうにも出来ないような人々の面倒を見てくるうちに、いまや職員が200人以上となるような大福祉法人となってしまったこと、それには広大な土地を無償で提供してくれた人や、いろいろな形で支え、応援してくれた人たちとの出会いがあったこと、そしてそれが出来たことはポジティブな言葉による祈りのおかげであったこと、だから私を招いて如何に言葉が大事であるかをお話して欲しかった、というような説明を受けたのです。

大府駅から20分ほどのところにあるその施設は福祉の里ともいえる広大なエリアでした。そして私が講演をするホールには、障害児(といってもかなりの年配の方が多かった。・・・つまり40年も30年も前から皿井さんのところで世話になり、いろいろな訓練を受けてきている。当時、他のところであったならまったく粗末な扱いしか受けられず、おそらく長生きもままならなかったであろうような高齢者の方も沢山いたのです)の方々や、その父兄の方、さらに彼らを支援してくださっているボランティアの方々など約150名ぐらいの方々が私を待ってくれていました。

障害児の方々のほとんどは車椅子でそれも特殊な形をした車椅子に乗っておられましたし、もちろん特殊な所作や、声を発声されている方も多く、正直言って皆さん僕の話がちゃんと分かるのかなと、ちょっと心配をしました。

ところが私が話をし始め、スライドをお見せし始めたら、場内はしーんとし始め、がたがたと車椅子を鳴らすような所作も、奇声を発する人もなく、皆さん自分なりのスタイルでジーと聞き入ってくれるではありませんか。もう次の瞬間から私はいつものペースでセミナーを続けることが出来たのです。しかも2時間たっぷり。歌もたくさん歌いました。皆さんとも2曲ほど大きな声で歌いました。

感動のうちにセミナーは終わりとなりました。万雷の拍手が起こりました。そしてサインを求める人が何十人も並び、そのうちの一人の障害者は、顔をゆがめ、口をゆがめながら特殊のワープロを使って僕にそれを見せるのです。“ありがとうございました”とそのワープロのボードには書かれてありました。もちろん泣き虫の僕の瞳はすぐにウルウルとなったことは言うまでもありません。そして父兄の一人はこう言ってくれました。“今まで世の中のことに絶望して、夢も希望も持てませんでした。でも今日からは違います。ほんとにありがとうございました”と。

”難病がなぜあるのか?それは社会のひずみがもたらしたもので、皆さんはその犠牲者だ。でももう心配することはない、波動医学の時代が来た。僕が絶対頑張るから、皆さんも希望を持ってください”

それが具体的に振動の乱れがすべての病気の原因である、ということを分かりやすく説明した上で皆さんに説いた私の今日の趣旨でした。もちろんそれは愛と感謝にもとづく私のいつものお話でもありました。

しかしながらつくづく思いました。皿井さんのような素晴らしい方が世の中にはまだまだ沢山いらっしゃるのだなと。そんな方々ともっと会いたい。

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